1 呼吸で上下する胸が見える



 静かな夜の闇の中、赤々と燃えさかるたき火。そこから少し離れた場所には、少人数用の大きさの厚手のテントが立てられている。たき火の灯りが眠りを妨げないようにと多少の距離を取ってはいる上に、厚手のテントはさほど光を通すものではない。しかしそれでも灯りが映るのではと気になってしまうのは野営に慣れていないせいだろうか。
 そんなことを思いながら、スコールは一人火のそばに腰掛け見張りを続けていた。
 三人で生活するようになってから発生した、狭いテントの中で他人と眠るという状況に、スコールは戸惑いを感じていた。うっすらと記憶にあるスコールのこなしていた仕事というのが傭兵とは言っても、要人警護が多かったせいだろう。どちらかといえば宿泊施設や企業の社屋での警備といったイメージが強く、野営に参加するようなことは数少なかった。
 むろん傭兵生活の中では、野営をすることもないわけではない。こうして誰かと同じテントをあてがわれることもあった。それとて普通に過ごしていたのだろうから、共同生活ができないわけではないと思うのだが…。
「いや。お前の場合、できてないだろ。共同生活」
 いつの間にテントから出てきたのだろう。足音もなく歩いて来たジタンが呆れたように言った。突如背後から聞こえた声に、スコールは一瞬肩を揺らし、それから静かに声のした方へと目をやる。驚きのあまり、跳ね上がった鼓動の音が聞こえるのではないかと本人は焦るほどだったが、傍目には少しばかり肩が揺れたようにしか見えない。
「何で…」
 スコールが呟く。その表情に、ジタンがにやりと笑って見せる。
「お前、顔に出すぎなんだよ」
 そう言って、自分より年下の大人びた少年はスコールの肩を小突く。
「嘘。今、見事に無意識で呟いてたぜ。共同生活が…って」
 ジタンの言葉にスコールが渋面を作る。それを楽しそうに見下ろしながらジタンは彼の隣を擦り抜けてたき火の傍へと歩いていく。 
「なぁ?人が傍にいるって、そんなに鬱陶しいか?」
 スコールから遠すぎず近すぎず、けれど視線を合わせない場所へと腰掛けると、ジタンが尋ねる。その口調は厳しいものでも問い詰めるようなものでもなく、ただ聞きたいという意志が判る言葉だった。
「別に…」
「ふぅん」
 スコールの生返事に、ジタンは軽い相づちを打つ。
「…まあ、オレも他人が鬱陶しい時はあったけどな。鬱陶しいっていうか…怖かったっていうのが正しいかもな」
 年下の少年は、まるで老成した老人のような瞳で炎を見つめながら呟く。
「…お前が?」
 ジタンの告白に、スコールが眉根を寄せながら目を瞬かせる。その表情に変化は乏しいが、それだけでも十分に彼が来なくしていることは理解できた。
「そうだよ。何だ?オレが他人を怖がるのって、そんなに変か?」
 こちらを向いて、にやりと笑うその表情は、悪戯っ子という言葉が似合いそうな程にあどけないが、語られるその言葉はひどく大人びている。
「いや…そうだな。お前がそんなことを言うなんて珍しいと思う」
 きまじめな答え方をするスコールに、ジタンは肩をすくめて笑う。
「オレにだってそんな時があったよ。オレの場合は…ほら。こんなだからさ。他人から気味悪がられたりしてさ。あんまし良い思い出も無くてさ」
 そう語るジタンの瞳が微かに揺れている。
「そうか…」
「他人なんて、自分を傷つけるだけの怖いもので、自分の見える範囲に人がいるだけでも駄目だと思ってた。それが…あいつらに会って変わったんだ」
 たき火をじっと眺めながらジタンは、思い出話を続ける。スコールは何も言わずにその言葉を聞いていた。スコール自身の恐怖心と似て非なるもの。けれどだからこそか、ジタンの話はひどく彼の心に届く。
「団長や他の団員達と一緒にいてさ。最初はトラブルばっかりだった。冷たい言葉のやりとりでさ。必要以上踏み込まず、必要なこと以外は喋らなかった。けどさ。旅芸人ってなんてしてるとどうしてもな。それだけじゃやってけないんだよ。結局下らない言い合いや喧嘩をするようになってさ。いつの間にかバカやってつるんでるのが当たり前になってった」
 それは、きっとジタンだからだ。彼の性格ならば。あの社交性ならば、当然だろう。
 スコールは火を眺めながら、静かに彼の言葉を聞いている。
「そう言うのってさ。性格とかじゃ無いんだよ。心持ちってのかな。本人の感覚次第なんだよ」
 ジタンが肩を竦める。碧緑の瞳が柔らかな光を湛えてこちらを見ている。
「お前はどうしたい?」
「俺は…」
 スコールが言葉に詰まる。自分自身の気持ちを言葉にするのは、元々苦手なのだ。それに…大切だと認めてしまえば、必要以上に踏み込んでしまえば、離れた時に、置いて行かれた時にどれほどの傷になるだろうか。
「……」
 言葉に詰まったスコールを見、ジタンが苦笑する。
「そんなに難しく考えなくてもいいと思うけどな」
「別に…」
「難しいだろ。オレなんかだとさ。たとえば隣で寝てる奴がいるだろ。そいつが幸せそうに寝てるのとか、間の抜けた寝顔晒してるの見ると、安心する。明日もこれが見られるようにしたいって思う。そんでもってそれが明日もその次も続いて欲しいってなったら、もう仲間だって思ってる」
 至極単純に聞こえる理屈だったが、おそらく最も単純明快でそして正しい判断なのだろう。
「そんなに単純に…」
 そういう風に言えるようになりたいと思いながらも、スコールの口からは全く違う言葉がこぼれていた。
「単純でいいんだよ。単純で判り易い方が、小難しい怖さや疑心を取り払えるってね」
 そう言われ、更に考え込んでしまったスコールを眺め、ジタンは呆れたように苦笑する。自分と対して年の変わらない彼は、外見故に大人っぽく見られがちだが、案外と子供っぽい理屈を抱えているのだ。
 今も、ジタンの言葉に真剣に考え込んでしまったスコールに、ジタンは仕方なさそうに肩をすくめる。
「ほら。もう交代の時間だろ。このまま交代しようぜ」
 ジタンは口元に笑みを張り付けたままで、スコールを見上げている。
「すまない…」
「いいって。ついでだから、テントで寝てる相手見てこいよ。他人が生きているっていう証を眺めるのって、案外落ち着くもんなんだぜ?今ならバッツが絶賛爆睡中だ」
 ちょっとやそっとじゃ起きやしない。
 そう言って笑うジタンに促されるように、重い腰を上げるスコール。彼はゆっくりとした足取りでテントの中へと入っていく。考えすぎて重くなってしまった頭と体を引き摺り、大きく溜息をついて上着を脱ぐスコールの視界の端に、言われた通り丸まって眠っているバッツの姿が映る。その気持ちよさそうな寝顔に思わずスコールは苦笑をもらしてしまう。
 何の心配事もなさそうな、幸せそうな寝顔。呼吸をするために微かに上下する胸。時折震える睫毛。
 それら全てが目の前の人が生きているという証だ。
(無防備過ぎるだけじゃ無いのか?)
 余りにも幸せそうなその寝顔に、そんな思いがよぎる。スコールがそっと指を伸ばして寝ているバッツの頬をつつくと、彼は微かに眉を寄せて身じろぐ。しかし一向に目を覚ます気配はない。子供のようなその寝姿に、スコールは小さく息を付く。
(そいつが幸せそうに寝てるのとか、間の抜けた寝顔晒してるの見ると、安心する…)
 脳内をよぎった言葉。それは何故かすとんと胸におちていく。そして思う。
(明日もこの寝顔を見られるように…)
 自身も身を横たえる。聞こえるのは、自身ともう一人の穏やかな呼吸。重なり合うそれが音のない子守歌となり、スコールはゆっくりと目を閉じた。