01 音楽準備室



 この学園の選択授業のための教室及び準備室の一部は4階に集約されていた。
元々は一階に置かれていた準備室だったが、物品の増加とセキュリティの問題を鑑み、高価な備品の一部が四階に移動させられたのだ。
 当然準備室には、安全対策のため施錠を欠かさずに行っているが、学校の施設であるために、生徒も出入りすることからそれほど複雑なものは流石に設置できないでいた。
 その音楽準備室の前に立ったスコールは、預かった準備室の鍵でドアの施錠を外しながら、溜息をついた。
 今度新しくやってきた音楽教師は、案外と面倒くさがりで片付けなどを生徒に押し付けるのだ。今も授業で使った楽譜やDVDなどを大量に渡され、スコールは仕方なくこの四階の準備室までやってきたというわけだった。
 音楽準備室は、高価な楽譜やCD、DVD、果てはレコードの類まで置いてあるため、通常なら生徒一人で片付けなどさせないはずなのだが、あの教師のアバウトさは何だろう。そんなことを一人ごちながら中に足を踏み入れたスコールは目の前の光景に一瞬息を飲んだ。
 そこには先客が降り、一人の生徒が高価な楽譜に埋もれていた。床にぺたりと座り込んだ状態で壁に背中を預けがっくりと首をたれている。その様子はどう見ても落ちてきた楽譜に直撃され気絶したという風情だった。
(…無視するか?)
 思わず真っ先にそう思ったスコールだったが、うな垂れた頭に見覚えがある気がして踏みとどまった。
 近づいてみればどうやらその人物は、眠っているだけらしく幸せそうな寝息が聞こえた。
(何だ…。驚かせるなよ)
 見ず知らずの誰かに文句を言いながらそこを離れ、スコールは手にしたままだった楽譜やDVDを片付け始めた。一通り片付けも終えたスコールが先客を眺めると、その人物は眠ったままで微かに唸りながら首の位置を変えていた。
(いい気なものだ)
 そう心のうちで呟くスコールの目に、先客の顔が飛びこんできた。
「バッツ…」
 思わず呟いてしまう。それは、スコールの一年先輩で、目下意中の人であるバッツ・クラウザーだった。バッツは幸せそうに楽譜に埋まり、至福の寝顔を見せている。その余りにも幸せそうな寝顔に、スコールは悪戯を試みる。
壁に寄りかかったのバッツの顔に、自らの顔を近づけていく。眠ったままのバッツの唇に自分の唇を重ねる。柔らかなそれを甘噛みしていたスコールは、やがてバッツの頤に手をかけると僅かに口を開かせる。薄く開いた唇の合間から舌を差し入れると、バッツが苦しそうにうめき声を上げた。
「んんっ!」
 目を開けて暴れだすバッツの両腕を押さえつけ、スコールは深く差し入れた舌でバッツの舌を絡めとる。と、突如バッツの腕がスコールの呪縛を抜け、彼の体を突き飛ばした。
「何してんだ!スコールのバカ!」
 頬を上気させて声を上げるバッツの顔は耳まで上気し、スコールのもたらした行為がバッツの感情に火をつけたことは明らかだった。
「何って…」
(キスだが…)
 スコールが答える前に、バッツは急に立ちあがる。自分とドアの前にスコールがいる。押しのけて逃げるにしても対格差を考えると、バッツが勝てる確立は低いため、背後の窓を選択肢として選ぶ。くるりと振り返ったバッツは、窓を開けて窓枠に足をかけたところで、固まった。
「アンタ、バカだろう。ここは4階だぞ」
 窓枠の片足をかけたまま凍りついているバッツの背中に、スコールの呆れた声が飛んでくる。真っ青になった顔をぎしぎしと音を立てて振り向かせたバッツがスコールをぎっと睨みつける。
(俺を睨んだって仕方ないだろう。自業自得なんだから)
 そう思いながらも、スコールはバッツを助けるためにそっと窓辺へと近づく。背後から両腕を伸ばし、抱きかかえる様にしてバッツの体を支えた。
「は…離すなよ」
 目を瞑ったままのバッツが、情けない声で言った。スコールは頷くと窓枠にかかった足をそっと下ろさせる。バランスを崩したバッツが、その体をスコールに寄りかからせる。腕の中に納まった体が小刻みに震えていることに、スコールは何故か優越感を感じる。スコールは、自分に寄りかかったバッツの体に両腕を回し抱きしめる。
「な…何してんだ」
 慌てたバッツがスコールの腕の中で声を上げるが、スコールは逆に抱き寄せる腕の力を強めた。
「離すなって、言ったのはそっちだ」
 抱き寄せたそのバッツの首筋に顔を埋めると、スコールが囁く。
「言ったけど!言ったけどそういう意味じゃねえって!」
 わめくバッツを抱き寄しめたまま、スコールは珍しく優位に立った自分に口の端を歪めて笑った。バッツは、スコールの腕の中で、意を決したように体を入れ替え、彼と向かい合うように向きを変えた。その目元が少しだけ赤く染まっている。窓からの景色が見えなければ、この場所を高所と認識する手段は記憶だけになる。なら、記憶も消してしまえばよい。 
「もう一回、キスしよう」
 スコールを見上げたバッツが、薄く唇を開いて言った。スコールは、いつもどおりに戻ってしまったバッツを見、少しだけ残念に思いながらも頷いた。
 バッツの唇が、スコールのそれに重ねられる。お互いに相手を確認するようなどこか不自然なキスは、けれどやがて熱を持ち激しいものに変わっていく。
 ドア一枚を隔てて聞こえる日常の音に怯えながら、二人はお互いが満足するまでその口付けをやめることはなかった。