キッチンの怪



「おっじゃましまーす」
 元気よく声を上げてスコールの家の居間に荷物を置いたバッツは、周囲を見回し、そして首を傾げた。何とはっきり言えた訳では無いのだが、何故かこの部屋に違和感を感じる。しかし明確にそれが何なのかが判らず、すっきりとしない感覚を感じていた。
「何かさ。人の家にお世話になるのに、何なんだけどさ。この部屋なんか変じゃないか?」
 不可思議な感じに眉を寄せて顔を歪ませたバッツが、背後で鍵を閉めていたスコールを見上げた。
「なんでかな。この部屋、変な感じがする」
「変な感じ?アンタ、おかしなものでも見る性質か?」
 スコールが嫌そうに顔をしかめてバッツを見下ろした。何か嫌な思い出でもあるのか、それともいかがわしいとでも思ったのか。わかりやすい表情を浮かべるスコールにバッツは苦笑を浮かべる。
「違うって。そういうんじゃなくて…何だろう。合ってるのに合ってないような…」
 不可思議な言葉を口にしながら、ん〜と唸っているバッツを手招きすると、スコールは部屋の中を案内していく。ファミリータイプのそのマンションはリビング、ダイニング、バスルームなどの他に個室として使える部屋が三つほどあった。そのうちの一つはスコールが使用していたが、まだそれ以外にも二カ所が空いていた。
「好きな方を選ぶといい」
「ん〜…。じゃあ、こっちにする」
 バッツが選んだのは、スコールの部屋に隣あった一室。基本は板の間の造りになっているが、黒ーセットでは無く押し入れがあったりと多少統一性は無いが、生活重視の造りになっていた。
「夜具はそこの押し入れに入っているから、勝手に使ってくれ」
「おう。サンキュな」
 バッツがにかっと笑みを浮かべた。あまりにもあっけらかんとしたその表情に、スコールは思わず溜息をついてしまう。
「あんまり溜息ばっかりついてると、幸せが逃げるぞ〜」
 バッツが居間から取ってきた荷物を部屋に移しながら言った。荷物と言っても大した量があるわけでは無い。必需品を除いたならばその持ち物はきっと驚くほどに少ないのだろう。
「よし。じゃあ、とりあえず休憩するか?何なら簡単な夜食くらい作るけど」
 バッツが楽しげに声を上げ、先ほど見たキッチンへと向かった。その後を追いながら、スコールが歩いて行く。彼がダイニングへと辿り着くのと、先にキッチンへ向かったバッツが声を上げるのはほぼ同時だった。
「どうかしたのか?」
 不思議そうにスコールが声をかけると、バッツがひどく眉を寄せて冷蔵庫の前にしゃがみ込んでいる。見ればキッチンの引き出しが開けられ、鍋などが見えていた。
「どうしたって…どうしたもこうしたもあるか!冷蔵庫は空っぽだし。鍋やフライパンなんて埃被ってるじゃないか!」
 怒ったような呆れたような、そして泣きそうな声で文句を言うバッツにスコールは首を傾げる。
「…使わないからな」
 当然のように返ってくる答えに、バッツは呆然とスコールを見つめた。
「使わないって…。こんなに良い器具ばっかりなのに…」
 おれが憧れたやつばっかりなのに…。
 座り込んだままでがっくりと肩を落としたバッツは、突然はっとした表情を浮かべてキッチンの奥へと向かう。
「や…やっぱり…」
 バッツが切なそうな顔で戸棚を見た。本来調味料が並べられるであろう場所は、ただラックがむなしくステンレス製の光沢を見せているだけだった。
「お前、いつも何食って生きてるんだよ」
 バッツがスコールを見上げて声を上げる。スコールはその問いかけに眉を潜めた。
「週に三回家政婦が食事を作りに来る。それに外に出れば何でもあるだろう」
 スコールの言葉に、バッツは一瞬口を開き、そしてはぁと大きく溜息をついた。確かにスコールが三度三度きっちりと料理をして食事を取っている姿は想像ができない。
「大体、自分で作れるようなら喫茶店に通っていない」
 スコールが不機嫌そうな声で言い返す。確かにそう言われてしまえば、納得する以外に無い。実際彼が喫茶ワイルドローズに訪れるようになってからは気になっていたものだ。毎日毎日こんなところで食事を取っている青年の正体はなんだろうと。
 判ってみればなんと言うことは無い。いわゆる生活無能者だ。
「掃除は?洗濯は?」
 返ってくるだろう返事は判りきっていたが、それでも尋ねてしまうバッツだった。
「…家政婦が来ている」
 ああ。やっぱり。
 スコールの答えに、バッツは溜息をついた。
「…スコール、明日休みだったよな」
 珍しくきつい口調のバッツに、スコールが怪訝そうに首を傾げた。
「あ…ああ」
「買い物行くぞ」
 そう良いながら、バッツはギラッとスコールを睨み付ける。そのあまりの迫力にスコールがひくっと唇の端を歪めて体を引いた。
「明日は、朝から大仕事だ!今日はもう寝る!」
 バッツはそう言うと、呆然と見送るスコールを後に部屋へと戻る。文句を言われたまま取り残されたスコールは、少しだけむくれたような顔をし、そして部屋へと戻った。


 部屋でルームウェアに着替えてベッドに寝転んでいたスコールは、突如部屋のドアが開けられる音に驚いて上半身を起こした。と、そこにはやはりスウェットの上下に身を包んだバッツが不機嫌そうな顔で立っていた。
「どうした」
 子供のような不機嫌そうな表情を浮かべたバッツはズカズカと歩いてくる。
「布団。あれ、いつから入りっぱなしだ?」
 それが、バッツに好きに使えと言った布団を指しているのだと気づき、スコールは頭を巡らせた。
「覚えてない」
「………やっぱり」
 一瞬泣きそうな表情を浮かべたバッツは、しかしすぐに目を据わらせると、スコールのベッドへと潜り込んだ。
「お…おい」
「今日はここで寝る」
 バッツはスコールの隣にその体を横たえると、眠そうに目をこする。
「あんな埃っぽい布団で寝られるか…」
 文句を言っていたバッツだったが、気がつけば寝息をたてていた。スコールのベッドはセミダブルのタイプになっているため、窮屈すぎると言うことは無かった。しかし…
(この状態で寝られるか!)
 気になる相手が同じベッドの目と鼻の先にいるこの状況に、青少年は心の中で悲鳴を上げたのだった。