家政婦が来た!



 とある休日。昼食後、席でコーヒーを飲んでいたスコール・レオンハートは、現在同居中である父親のラグナに、外出を控えるよう声をかけられた。
「何か…あるのか…」
 尋ねるスコールの口調はぎこちない。
「今日から、新しい家政婦さんが来るんだ。一応顔だけでも合わせて欲しいんだけどな」
 長い髪を後ろで一つに結んだ壮年の男は、人好きのする笑顔でフライパンを振った。
「……何故?」
(家政婦なら別に顔を合わせる必要はないんじゃないのか?)
 簡単な疑問符の後に、つい己の思考だけで言葉をつなげてしまうのは昔からのスコールの癖だ。一応父親であるラグナはそれを理解しているのかいないのか、あっけらかんとした笑顔で当たり前のように話を続けていく。
「だって住み込み家政婦だから」
「はぁっ!!」
 ピンポーン
 スコールの声悲鳴が止むか止まぬかのうちに、玄関のチャイムが軽快な音をたてた。
「はいはーい。今行きますよ〜」
 呆然とするスコールをあとに、ラグナは楽しそうに返事をしながら玄関へと歩いていった。


 レウァール邸の門を叩いた新たな住み込み家政婦だという女をとりあえず居間へ案内すると、ラグナとスコールは不可解な思いを胸に女を眺めてた。
「ええっと…それで…貴方は…?」
 事前に送られてきていた書類と目の前に座る女を何度か見比べ、ラグナが声を発する。
 書類によれば派遣されてくる家政婦は50代半ばの女性のはずだった。その筈が、今ここを訪れた女はどう見ても20代。それもそこそこの美人だった。化粧は殆どしていないらしく、服装もざっくりとしたものを着ており、こざっぱりとした印象だが、それが逆に人目を引く。
「はい。この度、タイクーン家政婦協会から派遣されてまいりました、バッツです!」
 にこにこと満面の笑みを浮かべて応える彼女につられるように、ラグナがヘラリと笑顔を見せる。
「タイクーン家政婦協会からは、何だったか…もっと年配の方がくると聞いていたんだけどな」
 どう切り出したものか悩んでいるらしいラグナが言った。
「そうですね。アーレスタさんが伺わせて頂く予定だったんですが、足に怪我をされて、動けなくなってしまったんです。それで代わりに、お…私が派遣されてまいりました」
 事前に連絡が言っていたはずなんですけど?と小首を傾げる姿に、ラグナがあれ?と同じように首を傾げた。もしかしたら、来ていたかもという、無言のジェスチャーだろう。
 その様子に口元を緩めたバッツは、鞄から書類を取り出す。そこには派遣会社から当初の予定人物が怪我のため派遣できなくなったこと。急遽代わりの人物を派遣する旨が書かれていた。それと共に、バッツの身上書が添えられている。
「そっか。怪我じゃあしょうがないな」
 書類を眺め、納得する父親からそれを奪い取ると、スコールは眉を顰めたまま、書類に目を通す。確かに協会の透かしも入っているし、それ自体は正式な書類のようだった。
「じゃあ、今日から三か月、よろしく〜」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
「ちょっと待て!」
 息子の存在は完全に無視され、勝手に家主と家政婦の間で契約の履行が進められていることに、スコールは思わず声を上げた。
「何を勝手に…。いや。それは良いとしても、せめて身分証を確認するとかそういう思考はあんたにはないのか」
 あまりにも無警戒なラグナの様子に普段は無口なスコールが、捲し立てる。しかし、当の本人はそんな文句などどこ吹く風。のんきそうな笑顔を浮かべて「大丈夫だって」とへらりと笑う。
 想定内ではあっても、あまりにもなラグナの答えにがっくりと肩を落として額を押さえていたスコールは、不意に視線を感じて顔を上げた。と、スコールの顔を、バッツが覗き込むように見上げていた。
 相手が若い女性だということもあるのだろう。が、それにも増してまっすぐな灰褐色の瞳にじっと見つめられると、なぜか落ち着かない。
「おれは…ダメかな?」
 小声で呟かれたそれは、まるで青年のような言葉遣いだった。しかし女性としては少し低めのその声で発せられた言葉としては至極当然のようにも感じられる。
 自分の感覚に戸惑っていたスコールの目の前に、彼女の身分証が差し出される。
 手渡されたそれに目を落とす。通っている学園で、特殊傭兵の授業を受けているスコールにとっては、偽造身分証のチェックなど初歩である。それが偽造が本物かくらいはすぐに見分けられた。それ自体は正式に発行された身分証明であり、何ら不備はないようだ。
 しかし、目の前のバッツから向けられる視線のせいで、どうも落ち着かず、チェックに集中することができない。この身分証の何かが引っ掛かっているのに、それを見ようとする視線がバッツのそれに向けられてしまう。
 更に、スコールの横から子供のように覗きこんできていたラグナが、「ちょっと見して」と身分証を取り上げてしまった。
「ふ〜ん。やっぱり最近のは、かっこいいなぁ〜」
 表裏を交互にひっくり返しながらしげしげと眺めているラグナは、結局そのまま身分証をバッツの手に戻してしまった。
「えっと…」
 あっけなく返されたそれを手に、どう切り出したものかバッツは一瞬言葉を濁らせる
 。むっとしたような視線で隣に座る父親を睨みつける青年と、そんな視線などどこ吹く風な父親の様子を眺め、彼女は内心で面白いなぁと嘆息する。
 気を抜いてそんなことを考えていたバッツは、勢いよく差し出された右手に、きょとんと相手を見上げる羽目になった。
「ちゃんと確認もしたし、これでいいだろう。じゃあ、改めてよろしく」
「こちらこそ宜しくお願いします」
 再度差し出された右手を握り返し、彼女は新たな雇い主に満面の笑みを見せた。


 その後、家の中を案内してもらい、施設の大体の場所使用目的、家中でのルールを教えてもらった後、バッツは3か月の間過ごすことになる部屋へと案内された。
 彼女に与えられた部屋は、2階にしつらえられた客間の一室だった。客間などとんでもないと辞退した彼女に、この家の家主は先ほどと同じ笑顔を見せた。
「そうは言っても、部屋はここにあるだけしかないんだよ」
 言われれば確かにそのとおりだった。案内された時にも感じたが、主の寝室と客間が同じ階にあるという至極変わった造りをしているのだ。この家は。
 その事実を思い出し、バッツは主の申し出に素直に頷いたのだった。それでも家事の利便性を考え、階段から一番近い部屋を選ばせてもらった。
 荷物を解きながら部屋を見渡す。客間としても広めに作られている部屋はまるで家族のために設えたような温かみのある造りをしている。
「…思ったよりうまくやっていかれそうだな」
 ベッドに体を横たえながら、この家の住人の姿を思い浮かべる。
 大統領という重責にある人物だと聞いていたので、どんなしかつめらしい人物が出てくるのかと身構えていたが、本人は人好きのする笑顔をした、まだ壮年の男性だった。嘗て俳優もしていたというその人は、人目を引く端正な風貌からは想像もつかないほど柔らかな雰囲気を纏っていた。一国の政治を担う男というよりは、近所のお兄さんという表現が似あいそうなほど、若々しく溌剌とした印象を受けた。
 一方、その息子の方はといえば、第一印象は無愛想。父親に似た端正な造りの顔は、ただそれだけで女性の話題の的になりそうだ。まだ、17歳だと言うが、その立ち居振る舞いは有名学園の特殊傭兵コースの上位成績者のためか実際の年齢以上に落ち着いている。
 深い闇色の瞳は鋭く、まるで獲物を射抜くように相手を眺める癖がある。その視線と無口なことが原因で冷たい印象を受けそうだったが、ふとした瞬間の目や顔の表情が、まだまだ思春期の少年なのだと主張していた。
 額に傷跡があり、少し無造作に伸ばしている父譲りの漆黒の髪で隠すようにしている。しかしそのせいで逆に目立っていることには気が付いていないらしい。
「とりあえず…息子は、難攻不落そうかな」
 スコールだっけ?呟きながら、バッツは協会から渡された書類を取り出した。そこには彼らの簡単な身分調査書が付いていた。
 どうやらあの二人の間には何やら複雑な関係がありそうだ。それは必要であればおいおい聞いていけばいい話だ。
 バッツは書類を鞄にしまうと、代わりに愛用のチョコボのぬいぐるみを取り出し枕もとに置いた。
「今日からしばらくここがおれたちの家だ。一緒に頑張ろうな。ボコ」
 その言葉に応えるかのようにぬいぐるみの瞳が証明を受けてきらりと光った。
 部屋に戻ったスコールは、ぐったりとした体をベッドに放り投げる。あの父と共に過ごすようになってから、どうも自分のペースで生活ができていないように感じていた。他人と意思の疎通をすることを不得手とするスコールにとって、思うように生活できないというのは疲れるものだった。
 そこへ来て更に家政婦が住み込んでの生活など、スコールにとっては想像すらできないことだ。それに…。
 自分をじっと見上げてきた、バッツのあの瞳を思い出しスコールは僅かに眉を寄せた。
 その存在が邪魔だと思っているにも関わらず、彼女の顔を思い出すと頬が熱くなっていた。自分の顔が赤くなっているであろう事実に困惑しつつ、彼は眉間の皺を更に深くした。
 その時、ふとこれまで感じていた違和感の原因を思い出した。
「名前!」
 叫んでスコールはがばっと上体を起こした。
 昼間手渡された身分証明書に記載されていた名前と、初めに名乗った名前が確かに違っていた。
「くそっ。うっかりしていた…」
 がっくりと脱力してベッドに倒れ込んだスコールが悔しそうに呟く。すでに契約は成立してしまっている。
「今度、問い詰めてやろう…」
 そう決意した口調は、しかし厳しさのかけらも含んではいなかった。